空気に溶ける

 

の先が冷たくて目が覚めた。
 
目に飛び込んできた景色は、予想していたよりもずっと明るくて、コリンは思わず眉をしかめる。
窓から差し込む光の中を、埃がくるくると舞っている。
 
頭を起こすと、ブランケットから両足がきれいにはみだしているのが見えた。どうやら、スタジオで眠りこんでしまったらしい。
コリンは小さく息をつく。頭が煮詰まってソファに横になったところまでは覚えているが、まさか本当に眠ってしまうなんて、思ってもみなかった。
 
「やあ、おはよう」
 
頭の上で声がして、コリンは急いで体を起こした。ソファに座り直して姿勢を正す。
肘掛のすぐ脇に、かすかな笑いを浮かべたトムが立っていた。
 
目が覚めたのは足が冷えたからばかりではないと、途端にコリンは思い当たる。
そういえば、自分の名前が呼ばれるのを、さっきからずっと遠くで聞いていたような気がする。
仕事中に眠りこんでしまった自分を起こそうと、トムが頭の上で目覚まし時計よろしく叫んでいたというわけだ。
まだ少し朦朧とする視界を何とかはっきりさせようと、コリンは両目を強くこすった。
 
「ごめん、眠るつもりはなかったんだけど、」
 
「うん、眠る気まんまんだったら、それってちょっと問題だよね」
 
トムは喉に引っかかったような笑い声をあげ、コリンの隣にひょいと腰を下ろす。
相変わらず小さいな、などとつまらないことを考えつつ、「他のみんなは?」と当たり障りのない疑問をコリンは口にした。
 
「エドとフィルは買い出し。ジョニーはコリンが寝ているのを見て、自分も眠くなって出て行った。だからぼくはひとりぼっちになって、仕方なくコリンを起こさなきゃならなかった、というわけ」
 
「ふうん、置いてけぼりにされたってことだ」
 
トムが冗談めかして眉を寄せるから、応えるようにコリンも大きく肩をすくめた。
下ろした腕が乾いた空気を切る音が、空っぽの耳の中に、しん、と響いた。
 
横目でトムを窺う。光を受けた横顔に、睫毛が控えめな影を落としている。
頬はあまりにも澄んでいて、そのまま空気に溶けていくさまを、コリンは想像した。
 
そんな視線に気付いたのか、トムが不思議そうにこちらを向く。
コリンはあわてて目を逸らした。咳払いをする。胃がよじれて、空中を睨みつけるような、おかしな目つきをしていることが自分でもわかる。
 
傍目にも不自然な自分の動きを、何でもないような顔をしてトムがまだ見つめているのを感じて、コリンは何だか笑いたくなった。
唇から息を洩らす。
しかし、実際に笑ってみると、思ったほどにはちっとも可笑しくなくて、笑顔はあっという間に萎びてしまった。
 
「変なコリンだな」
 
トムが呟いた。そっと目を向けると、トムの口元には笑みが浮かんでいて、コリンはなぜか少し安心した。
 
「ぼくが変だなんて、どうしてそんなことを言うんだよ、トム」
 
不機嫌を装ってそう言うと、トムは考え込むように唇に手を当てた。
 
「だって、・・・コリンが変だからだよ」
 
「それじゃあ理由になってないだろ」
 
「うん、その通り!さすがはコリンだね」
 
わざとらしい冗談口調に僅かに眉をしかめながら、トムのせいだよ、コリンはと呟いてみる。そんな戯れに意味など少しもないことくらい、充分わかっていたけれど。
 
部屋の外が騒がしくなった。聞き慣れた笑い声が響いて、エドとフィルが帰って来たのだ、とコリンは理解する。
 
「あれ、コリン、起きたんだ」
 
ドアを開けるなりエドが言った。冷えた外気が、ゆるり、と鼻をかすめる。
 
「トムに叩き起こされたんだよ、置いてけぼりにされた、とかなんとか言って」
 
「そうか、それは災難だったね、コリン」
 
エドは声をあげて笑って、それから背中を向けた。フィルと一緒に、買って来たものをテーブルに並べ始める。
 
隣でいかにも可笑しそうにしているトムの視線を、コリンは追いたくなかった。取って付けたように目を伏せる。
それなのに、トムが何を見ているのか、あまりにも容易にコリンにはわかってしまった。
 
おかしくなったのは、トムのせいだよ。
もう一度こっそりと呟く。何だかすてばちになっていた。このまま全てをトムに話して、何もかも壊してしまいたかった。
 
だって、こんなことに意味などありはしない。
トムが自分の名前を呼ぶことにも、笑って言葉を交わすことにも、こうして二人でソファに座っていることにも、全く意味などないのだから。
それくらいわかっている。わかっているけれど、その度にコリンはむちゃくちゃに壊れていって、おかげで、もう何もわからなくなってしまった。
 
それならば、いっそ。
 
「え、なに、」そう言ったトムの口調はまるで上の空で、コリンをしっかりと現実に引き戻した。
部屋の空気が、耳の奥でわんわんと反響していた。このエコーは、今度の曲に使えるかも知れない。
そんな場違いなことを考え、トムに言おうとしたが、面倒になってやめた。
かわりに、「どうでもいい話」とだけ答える。
 
言葉のかげで僅かに洩らしたため息は、ビニール袋がかさつく音に紛れて、あっさりと空気に溶けていった。
 

 

 

 

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かろうじてC→Tのつもり。相変わらずストーリー展開が全くない、なんてこと。                                                                                                                                                                                                        そしてこんな報われない話が好き、なんてこと。