5杯目のビールを飲み終えて、ようやく僕は重い腰を上げた。
週明けが提出期限の課題を、さっさと片付けてしまわなければならなかった。足元は少しふらついたけれど、別に酔ってはいない。
僕は鞄を掴むと、少し離れた席に座っているデーモンの方へと足を進めた。
デーモンは、かわいい女の子たちに囲まれて、何やら大声で話しこんでいる最中だった。
空になったジョッキが、目の前のカウンターに積み上がっている。
僕が後ろからそっと肩に手を掛けると、真っ赤に潤んだ目をこちらに向けて、「やああグレアム!」と頓狂な声をあげた。明らかに酔っ払っている。
「僕もう帰るから」
早口にそう言うと、「ええ!」という不満げな返事が返って来た。
「どうしたんだよ、グレアム」
「月曜日に提出の課題があるのを思い出したんだ」
「そんなの日曜日にやればいいだろ!」
「・・・今日はもう日曜日だよ」
腕時計をちらりと確認して僕が言うと、デーモンは目を見開いて見せた。女の子たちが笑い声をあげる。
「そうか、グレアムがいないんじゃつまらないなあ」
いかにも残念そうな声を出すから、「そんなわけないでしょ」と思わず僕は口ごもってしまう。
そうして俯いたまま、そそくさと店を出た。
デーモンの言葉を信じていいものかどうか、わからなくなることが僕にはたまにあった。
家に帰ると、意識の奥に潜んでいた疲れがどっと外に流れ出て来て、僕はベッドに身を投げた。
課題に取りかかるべきだとは思ったけれど、そんな気分にはなれなかった。
アルコールがこめかみあたりをぐるぐる廻るのを感じて、僕はデーモンの誘いに乗って飲みに出かけてしまったことを、何だか少し後悔した。
結局途中で帰ってくることになるなら、はじめからどこにも行かない方がいくらかましだったはずだ。
そうして横になったまま、僕はデーモンのことを考える。
デーモンとは、小学校のときからの顔なじみだった。多少横柄なところはあるにせよ、デーモンはいいやつだったし、僕は彼が好きだった。
けれど、彼がなぜ僕と友達になろうと思ったのか、そのことについては些か疑問に思う部分があった。
デーモンは、その端正な容姿のおかげで、良くも悪くも人の注意を引く。特に女の子からの人気は絶大で、デーモン自身もまんざらでもない様子だった。
けれど僕は、人の注目を浴びるようなことはできればしたくなかったし、よく知らない女の子と話をするのも好きではない。
いわば正反対の性格の僕と一緒にいて、果たしてデーモンが楽しいのかどうか、正直よくわからなかった。確かめてみる勇気もない。
そんなことさえ言えないのだから、胸の底で昔からずっとくすぶり続けている感情を、デーモンに伝えるだなんて、到底無理な話なのだ。
僕はため息を吐いて、大きく寝返った。体を起こす気持ちにはなれなかったけれど、眠くもなかった。
部屋中の空気が、だらだらとまとまりのない僕の思考に染まって、色をなくしていくのがわかった。
手を伸ばせば届く気が、いつもしていた。それくらいいつも近くにいた。
それなのに僕は、精一杯伸ばした指先が虚しく空を切ることを恐れて、腕を持ち上げることさえしなかった。
ただ君の近くに座っていること、そんなことが酷く幸せだから、疎ましくて不幸せで仕方がなかった。
あとどれくらい、と思う。あとどれくらい僕は、朝露の降りた草原や、暖炉の前で眠る子犬を愛するようなやり方で、君を好きでいることができるんだろう。
耳元で、アルコールが脈打つ。その規則的な音を聞いているうちに、いつの間にか眠ってしまったらしい。
テーブルの上にある携帯電話のけたたましい着信音に目を開けると、辺りはもうすっかり明るくなっていた。
寝ぼけた体を叩き起こして、僕は通話ボタンを押した。
「もしもし、」
「あ、グレアム、課題終わった?」
デーモンの声が電話の向こうから流れて来て、眠気がさっと溶けて行くのを感じた。
「いや、まだ、全然。実は昨日、あのまま寝ちゃって」
「それは今日の話だろ、グレアム。でもまだ朝だし、俺が今から行って手伝ったら、課題なんかあっという間に終わるよ」
「え、手伝う?行って?」
我ながら間の抜けた返答をしたものだと思う。けれどデーモンはそんなことは気にも留めず、
「ああ、今からな。ついでに朝御飯も作ってやるよ」
と言って、電話を切った。
「・・・もう、勝手だなあ」
僕は笑って、呆れたふりをした。それが、ここでは一番しっくりくるような気がしていた。
僕はいつでも、不自然にならない言葉を探している。
だから君の前では言いたいことも言えないなんて、そんなのはただの都合の良い言い訳に過ぎないんだよ。
僕は言葉をしゃべることができるし、自分が何を言うべきかもわかっているのに、それでも何も言わないのは、本当は、そんなことは言いたくないという証拠でしかないんだ。
壊れてしまうのが恐くて、気づかないふりをしている。
それなのに、自分自身をがんじがらめに縛り付けた鎖を、君がやって来て解いてくれるのを僕が今でも待っていると知ったら、君は笑うだろうか、それとも。
僕は本格的に体を起こし、冷たい水で顔を洗った。それから盛大に寝ぐせのついた髪を、何とか整えようと努力して、すぐにあきらめた。
ケトルを火にかけ、コーヒーを作る。できたコーヒーは少し甘すぎる気がしたので、ほとんど飲まずにテーブルの上に置いた。
部屋の隅にほこりが見えた。拾ってゴミ箱に捨てる。
そうして僕は、椅子に座って、デーモンがやって来るのを待った。
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初b/l/u/rです。タイトルがlet downなのは無関係。 もっと楽しい話にしたかったけれど。これから楽しくなるのですよ。ということで。 こんなところにリンクをはってくださった梓さまへ感謝の念をこめて。