雪、あるいはただの口実

 

 

 

つの間にかスタジオの中が薄暗くなっていることに気付いて、僕はヘッドフォンを外し、大きく息を吐いた。
 
急に訪れた静けさが、耳の中で雑音となって反響している。
僕は意識的に頭を2、3回振ると、椅子をくるりと回して部屋の中を振り返った。
 
狭い部屋の中央にはテーブルがあって、その両脇に、布製の黒いソファが陣取っている。
そのさらに向こうで、正体不明の段ボール箱がいくつか埃を被っていた。
ぼやけたクリーム色の絨毯の上には、無数のコードが何か奇妙な植物のようにはびこり、椅子の脚に絡んで蔓をまく。
テーブルからこぼれ落ちた紙くずが、部屋の雑然とした印象を強めていた。
 
部屋の空気は不機嫌だった。
 
もちろんそれは、埃じみた暖房の送り出すむっとするような風のせいだったけれど、それだけではないこともはっきりわかっていた。
 
ソファの上に、眉間にしわを寄せて紙くずをまき散らしているデーモンの姿があったからだ。
神経質そうに顔を歪め、ペン先を叩きつけるように何か書いている。
 
生ぬるい空気と混じり合うのを拒もうと、いら立ちで身辺を固めてしまったような雰囲気だ。
さすがに僕も話しかける勇気はなくて、また椅子を回して窓の方に向きを変えた。
 
 
部屋の中には、見事に僕たちしかいない。
他のメンバーもスタッフもどこかへ姿を消していて、僕は何か陰謀めいたものを感じる。
みんな、デーモンの不機嫌を見てとり、ヘッドフォンをつけた僕を残して、さっさと退散してしまったに違いない。
 
僕はため息を吐いた。
窓の方に椅子を寄せて、ブラインドの隙間から何となく外を窺う。
 
外は雪だった。
それも激しい降り方で、薄暗い空に溶け込んでいた雪が、風にあおられて急に窓を叩くから、僕は思わず首を引っ込めた。
 
その瞬間、「何してるんだ」という声が頭の上から聞こえてきて、もう一度身をすくめる。
いつの間にか、僕のすぐ後ろにデーモンが立っていた。
 
「いや、雪が降ってるなあ、って」
 
ほとんど独り言のように小さく僕は返事をした。
デーモンは、続きを促すように小首を傾げてこちらを見ている。
 
「それから誰もいないなあ、と思って。・・・ごめん、邪魔した?」
 
じっと注がれる視線に気まずくなって付け足すと、いや、とデーモンは首を横に振った。
 
「音がしたから、何してるのかと思っただけだよ」
 
そう言って、またソファの上に戻って行く。
 
音がした、とはいえ、僕はそんなに大したことをしたつもりはない。
部屋の中を見まわし、それから、外を見ただけだ。
 
デーモンの集中力に限界が来ていることは、火を見るよりも明らかだった。
けれど彼は「煮詰まっている」なんて自分では絶対に認めないから、無理やりにでも何かを捻り出そうとソファの上を動かない。
 
腰を下ろしたデーモンは、背もたれに深々と身を沈め、両手を頭の上にのせた。
手には、やはりペンが握られている。
 
その横顔があまりにも疲れて見えて、僕は何だか胸が詰まるような感じがした。
 
空中を見据える青い目は、乳白色に濁って深みがない。
まるで体中からごっそり生気が抜け落ちて、動きを止めてしまったかのようだ。
 
「デーモン、」
 
僕は堪らなくなって、それを打ち消すように声をかけた。
 
「ちょっと、外に行かない?」
 
デーモンは、夢から醒めたばかりの人間のように、ゆっくりまばたきをしながらこちらを見た。
 
「雪が降っているのに?」
「うん、ちょっとだけ。雪を間近で見られるし」
 
何だ、それ、とデーモンは言ったけれど、少しだけおもしろがるような顔をしたから、僕は満足する。
強引に腕をとって、僕たちは半日ぶりにスタジオの外へ出た。
 
 
 
 
「寒い」
 
デーモンはぶつくさ言って、両手に真っ白な息を吹きかけた。
 
縮こまるように首をすくめて、やっぱり不機嫌そうに見える。
雪の勢いは強まるばかりで、綿ぼこりのように旋回しながら落ちて来る。
 
「下から見ると、雪ってあんまりきれいじゃないよね」
 
僕は自分の真上を見上げて、思ったままの感想を言った。
雲の隙間から差すかすかな光のせいで、空中の雪は何だか灰色じみている。
 
「そうだな」
 
と答えて、デーモンはその場にしゃがみこんだ。
左膝に頬杖をつくようにして、首を斜めに傾けて空の方を見ている。
 
その睫毛に雪が積もって、また一瞬で消えていくのを眺めていると、不意にデーモンがこちらを向いて、僕は少しだけぎょっとした。
 
デーモンも初めは驚いたような顔をしたけれど、ゆっくりと、何かに引っ張られるように口の端を持ち上げた。
満足げな笑みが、顔全体に広がる。
 
それでもデーモンは何も言わないから、僕はいたたまれなくなって、「何?」と言った。
 
「もう中へ入ろう、グレアム」
 
完璧な笑顔を崩さずに、デーモンは明るく言うと、さっと立ち上がった。
そしてそのまま僕の方へ向き直り、真っ直ぐにこちらを見た。
 
「せっかく雪を間近で観察する良い機会なのに」
「・・・え?」
 
咄嗟に意味をつかむことが出来ずに、僕は眉をしかめた。
 
「雪じゃなくって、僕を見ていたんじゃあね」
「・・・自信過剰だ」
 
僕が大袈裟に不機嫌な声で呟くと、デーモンは声をあげて笑った。
それから少し真面目な顔に戻って、おもむろに僕の肩をつかまえた。
 
「じゃなくて、僕はグレアムを信じているからね」
「はあ?」
「きみはいつだって、僕に口実をくれるんだよ」
 
デーモンの腕が背中に回ってきて、僕は思わず後ろによろめいた。
 
「ちょっとデーモン、」
「何?」
 
その声が、僕の背骨に響いてかすかな震えとなる。
 
「ここ、外だし、やめようよ」
「ああ、これだと僕の顔が見えないから?」
「・・・やっぱり自信過剰だ」
「僕はグレアムに頼っているんだよ」
 
もう一度声をあげて笑って、デーモンは僕から離れた。
不機嫌な空気は、もうどこかへ溶けて行ってしまっている。
 
「おかげで、歌詞が書けそうな気がしてきた」
「雪を観察したおかげ?」
「いや、僕がグレアムに頼ったおかげ」
 
そう呟いてさっさとスタジオに帰ろうとするから、僕は慌ててデーモンのあとを追いかけた。
 
 
 
 
 
 
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な、何だこれ・・・。
ただ雪を降らせたかっただけなのになあ・・・。